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日本プロテスタント人物誌 No.12 津田梅子

2022年6月19日

【津田梅子(1864-1929)】 

 明治4年にアメリカ、ヨーロッパ各国を視察した岩倉使節団が、宣教師フルベッキの発案であったことはすでに触れました。この岩倉使節団には、5人の少女が同行したことはよく知られています。その折、最年少6歳で加わったのが、津田梅子でした。彼女たちは帰国後、日本の女子教育に貢献することが期待されていました。使節団に少女を加えることを助言したのも、フルベッキだったようです。

 梅子の父の津田仙は、日本の初代クリスチャンの一人です。津田仙は佐倉藩の家臣で、ペリー提督率いる黒船を目撃し、英学を志すことになります。幕末には、幕府派遣の訪米団にも加わっていました。維新後、津田は、西洋野菜に関心を寄せ、トマトやアスパラガスなどの栽培に成功し、西洋人の宿泊するホテルに提供しています。津田は一時、北海道開拓使でも仕事をしていますから、少女の海外派遣の話を耳にしたのでしょう。洋学を身に付けた父には、娘に西洋教育を施すことも、意味あることと考えられたのかも知れません。

 当時、首都ワシントンには森有礼もいて、何かと世話をしたのですが、結局梅子は日本大使館勤務のライマン夫妻に預けられ、結局十年もの長い間、アメリカに滞在し、教育を受けることになりました。梅子は9歳の時、みずからの意志で洗礼を受けています。洋行に当たっては、キリスト教への入信は禁じられていました。それが日本でキリスト教の禁制が撤廃されたのを機に、梅子は入信を志したのです。アメリカの女性は聖書の教えにしたがって、人格形成を行っている。梅子にとってごく自然な入信でした。

 十年ぶりに梅子は帰国しますが、もはや日本語は自由に出てきませんでした。心理的には、日本の父母よりも、アメリカの養父母に近く、コミュニケーションもよく取れる状態でした。日本の女子教育への貢献を目指しても、なかなか機会が得られない。梅子がもう一度渡米し、女子大学を卒業して帰国、女子英学塾、後の津田塾大学を創立するには、紆余曲折の長い年月が必要だったのです。

担当 梅津 順一

カテゴリー:
キリスト教入門
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