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日本プロテスタント人物誌 No.9 徳富蘇峰

2022年5月29日

【徳富蘇峰(1863-1957)】 


 徳富蘇峰は、熊本水俣の豪農の子弟で、父親は維新後熊本県庁に出仕、一家で熊本に移住しました。父親は熊本洋学校の設立したグループの一人で、蘇峰(当時の名前では猪一郎)も、熊本洋学校で学び、奉教趣意書すなわちキリスト者となって日本国のために尽くすという宣言書に署名しています。したがって、熊本バンドの一人です。
 
 洋学校が閉鎖されたのち、蘇峰は一時上京しますが、洋学校の先輩の向かった同志社英学校に入学し、新島襄の門下生となりました。新島の薫陶を受け、熱心な信仰生活を送り、信仰日記を残しています。ただ、同志社は先輩に反発して卒業目前に退学、その後、若くして熊本で大江義塾を設立し、若者を集めて洋学教育をほどこし、自ら学びつつ教える時期を過ごしています。

 そうした研鑽の上に、蘇峰は若くして言論界のスターなりました。蘇峰は福澤諭吉を意識して、『学問のすすめ』に対抗して『新日本の青年』を書き、『文明論之概略』に対して『将来の日本』を書き、注目されるにいたったのです。蘇峰は名声を得て上京し、民友社を立ち上げて、『国民之友』という日本最初の総合雑誌を刊行します。蘇峰は主筆として健筆を振るったのでした。

 その『国民之友』に発表した一文に、「明治の二先生―福澤諭吉君と新島襄君」があります。当時は、慶応義塾の福澤先生はよく知られていましたが、同志社の新島はよく知られていませんでした。蘇峰は、福澤は、西洋の物質文明の先生であるのに対して、新島は西洋の精神文明の先生であるといいます。西洋の精神文明、キリスト教を学ぶことの重要性を強調したのでした。蘇峰の立場は、新島先生の側から、福澤先生を批判するものであったのです。知識偏重で、西洋の平民道徳を軽視している、と。この徳富蘇峰の出発点はキリスト教的なものであり、蘇峰の蘇も、故郷、阿蘇の蘇であり、耶蘇の蘇であったのです。

担当 梅津 順一

カテゴリー:
キリスト教入門
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