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日本プロテスタント人物誌 No.3 植村正久

2022年4月17日

【植村正久(1858-1925)】 


 日本の初代のプロテスタントは、横浜の居留地の宣教師に英語を学んだ人々の中から生まれました。横浜居留地には、ヘボンに続いて、ジェームス・バラとかデーヴィッド・タムソン、R. S. ブラウンといった宣教師がやって来ました。日本でキリスト教の伝道が禁止されているなかで、彼らは向学心の強い若者に英語をはじめ洋学を教えることから始めたわけです。居留地では礼拝など、宗教的儀式や活動を行うことは許されていましたので、学生たちはおのずから、キリスト教に触れることにもなりました。

 横浜居留地でキリスト教を受け入れた若者たちのグループは横浜バンドと呼ばれます。今日では、バンドという言葉は、音楽のグループを意味しますが、もともとは小隊を意味し、当時は宗教的な小グループを指す言葉でもありました。横浜で英語を学びたいと考えた人たちは、学習意欲の強い、武士の子弟たちでしたが、とくに維新政府から冷遇された幕府の側に立っていた人たちでした。先祖代々の武士としては生きていけず、教育によって新しい時代に身を立てていかなければならない人たちでした。

 植村正久は旗本の出身で、幕府に従う名家の出でありました。それが維新とともに家職を失い、経済的な貧窮のなかで、英学によって身を立てることを目指したわけです。したがって、学生たちは当初はキリスト教に関心があったわけではありません。しかし、先生たちへの尊敬が、先生たちの宗教へと向けられることになりました。とくに、先生たちが開国維新によって再出発した日本の将来を心配し、日本のために涙を流して祈ってくれたことに心動かされたといいます。

 なかでも植村正久はキリスト教会の代表的な指導者となりますが、植村が当時フェリス女学校に在学中の山内季子に手紙で交際を申し込み、結婚したことは有名なエピソードです。プロテスタント信者となることは新しい結婚の形を作ることでした。もっとも、二人にバラ色の未来が広がっていたわけではありません。新妻と旧家の姑との関係も、決して平たんではなかったようです。

担当 梅津 順一

カテゴリー:
キリスト教入門
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