出エジプトの指導者モーセは、特別な規格外れの人物でした。使徒パウロでさえ神をおぼろげにしか見ていないと言うのに、モーセは神と顔と顔を合わせて話すことができたのです。しかし、そのモーセも、カナンの地に入ることはできませんでした。ヨルダン川の東岸のネボ山山頂から、約束の地を見渡したのち、その地で亡くなりました。
モーセの後継者はヨシュアです。ヨシュア記は、ヨシュアの指導の下に、イスラエルの民がカナンの地に進出していったことを記しています。とくに、ヨルダン川を渡り、要衝の都市エリコを攻略した物語は、よく知られています。年代的には紀元前13世紀の出来事ですが、この聖書の記述は、そのまま歴史的事実と受け取ることができるのでしょうか。
この時期の一世紀前の出来事は、エジプトで発見されたアマルナ文書(といっても粘土板に記された楔形文字です)が手掛かりとなります。これはエジプト王にあてた周辺の支配者からの書簡で、パレスチナからの書簡もあります。そこには大規模な外部からの侵入を示唆するものはありません。では、突然、何が起こったのか。
ヨシュア記を手掛かりとした考古学的調査は、いくつかの都市が破壊され、それ以前とは異なった民族の定住があったことを確認しました。この種の発掘はいくつか続き、一時、聖書の記述を根拠づけるものと考えられたのですが、調査が進むにつれて、聖書の記す重要な都市には定住の証拠はなく、破壊された都市も、年代的に破壊者はイスラエル人ではなかったと理解されるようになったのです。
この時期は、東地中海地域全体を見るとき、大きな変動の時代であったことが知られます。それまで、この地域の大国はエジプトとヒッタイト(現在のトルコ)で、ヒッタイトとエジプトはシリアで対峙していました。東地中海世界は、ミケーネ人(古代ギリシア人)によって担われた貿易ネットワークで結ばれていたのですが、突如「海の民」とよばれる人々が出現し、国際的な秩序が崩壊しています。聖書にしばしば登場するペリシテ人は、その「海の民」の一部と考えられます。
ところで、考古学的調査は意外な発見をもたらしました。この時期のパレスチナの丘陵地帯に、新しい共同体が出現していたことが明らかとなったのです。初期のイスラエル人は丘陵地帯に住む、農民として、また遊牧民として姿を現したのです。このことは、イスラエル人のカナンへの進出が、軍事的な征服ではなく、小グループによる平和的定住であったことを示唆するのです。
担当:梅津順一
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- 世界史とキリスト教(2023年度)
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