【山本七平 (1923-1979)】
山本七平はイザヤ・ベンダサンの筆名で『日本人とユダヤ人』を刊行し、ひろく社会に注目され、その後も続々と書物を刊行し、たくさんの読者に恵まれました。山本は戦後、小さなキリスト教系出版社を設立、『日本人とユダヤ人』も山本書店刊行で、ほとんど宣伝もしないで、ベストセラーになりました。ユダヤ人はユダヤ民族を意味するだけでなく、ユダヤ教徒であることを意味します。日本人も、日本民族を意味するだけでなく、独自な日本教徒ではないか。山本の視点は、日本人の宗教意識に焦点を集めたものでした。
山本はクリスチャンとしては三代目の家庭で育ちました。家には聖書があり、教会学校に通い、学校も青山学院の中高から大学(旧専門学校)に学びましたので、戦時下、卒業を半年早めて入隊した日本陸軍はいわば異教世界と感じられました。彼は陸軍予備士官学校で砲兵の訓練を受け、その後、予備役野砲少尉としてフィリピンのルソン島に派遣されます。日本陸軍では伝統的に食料は現地調達であったとか。アメリカ軍の攻勢だけでなく、その食料不足のなかで、苦戦し、最後はジャングルに逃げ込み、かろうじて生還することができました。
戦後山本は、聖書とともに、日本の伝統思想を読み続けたのですが、山本が光を当てた人物に不干斎ハビアンという人物がいます。生まれは1565年、最初は禅門に入り、19歳でキリシタンに改宗し、そのキリスト教名がハビアンでした。ハビアンは伝道のために『妙貞問答』を記し、当時の代表的儒者、林羅山と論争したこともあったのですが、最終的には棄教し、『破提宇子(はだいうす)』すなわち、反キリシタン文書を著わしています。仏教を批判し、キリスト教を批判するハビアンの基準が、日本教だというわけです。
山本=ベンダサンの「日本教徒」という捉え方は、クリスチャンも日本人であるかぎり、日本教キリスト派となり、本来のキリスト教から逸脱する危険を指摘するものでした。山本は他面で、日本人に伝道するには、日本人の伝統的な考え方、日本教を知らなければならないといいます。キリスト教は、ギリシャ、ローマ世界に入った時も、ゲルマン民族に伝道した時も、その社会で正しく理解され、定着するのに、長い時間がかかりました。同じことは、日本での伝道についても言えるでしょう。
担当 梅津 順一
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