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日本プロテスタント人物誌 No.24 賀川豊彦

2022年10月9日

【賀川豊彦(1888-1960)】 

  賀川豊彦は、留岡幸助の「家庭学校」、山室軍平の救世軍と同じように、社会的に恵まれない人々の魂と生活の救済に取り組んだ人物です。世界的にもよく知られ、一時期、インドのガンジー、アフリカのシュバイツァーと並ぶ世界の「三大聖人」の一人と評価されたこともありました。また、敗戦直後の日本では、東久邇首相の後継者として、有力な首相候補とされたこともありました。

 賀川は徳島の実業家の家庭に、いわゆる妾の子として生まれ、両親と死別、引き取られた先の父の実家が破産するなど、不幸な育ちをしています。16歳のころ、南部長老派のマイアース宣教師より洗礼を受け、明治学院高等部神学科に入学、その後、南部長老派の神戸神学校に移りました。その頃、路傍伝道に従事しつつ、結核で喀血するなど困難な日々が続きました。

 そこで賀川は神戸神学校に在学しつつ、意を決して貧民窟に住み始めます。どうせ近く死ぬ身なら、貧民窟で死にたいと考えたのです。賀川は貧民問題を通して、イエスの愛の精神を伝えることが自らの使命と考え、病身を押してその実践に取り掛かったのでした。賀川の入った貧民窟は、当時日本最大級の規模で、7500人ほどが住んでいました。賀川はそこに、スリや博徒などまともな職業に就いていない人々とともに、土方や職工など、不熟練労働者がいることに気づきます。

 賀川は、神学校を卒業し、牧師となりますが、貧民窟には経済問題とともに、人間性の喪失があることに気が付きます。たとえば、親に連れられて屑拾いさせられた子は、屑拾いから鉄屑泥棒になり、その先にはスリの子分になってしまう。とくに、悲惨な運命を辿るのが女の子で、家庭の貧困から娼妓に身を落としてしまう。しかし、なお賀川は人間性の回復を信じ、イエスの愛を説きつつ、労働者の抑圧からの解放をもとめ、労働運動を指導していったのです。社会運動に打ち込むなかで、賀川はあくまでも魂の問題が中心にあると考えていました。

担当 梅津 順一

カテゴリー:
キリスト教入門
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