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日本プロテスタント人物誌 No.20 吉野作造

2022年9月11日

【吉野作造(1878-1933)】 

 政治学者吉野作造は、大正デモクラシーの提唱者としてよく知られています。吉野は宮城県古川市の糸綿商の家に生まれました。作造の幼少期は自由民権運動の時代で、古川でも民権結社が生まれ、吉野の家も政治意識が高く、父は後に町長になっています。作造は地元の小学校で学び、仙台の(旧制)中学に進学、その後、旧制二高(現東北大学)に入学しています。

 仙台では、東北学院の創始者の一人、押川方義が「東北を日本のスコットランドに」と熱弁をふるっていた時期で、吉野は押川に影響を受けるとともに、女性宣教師のバイブル・クラスに仲間とともに出席しました。当時の写真を見ると、十数人の男子学生に囲まれたミス・ブゼルの姿があります。男子学生たちは、彼女の手作りのドーナツやアイスクリームをはじめて味わったそうです。吉野はまた、二高でキリスト教青年会、忠愛之友倶楽部にも参加しました。

 吉野の高校生活で特筆すべきは、二十歳にして結婚していることです。冬、吉野が雪道を歩いていると、下駄の緒を切らして立ち往生していた娘がいた。吉野はさっそく手ぬぐいの切れ端で緒を作ってあげた。後日、母親とお礼に訪れたその娘と結ばれたというのです。彼女は当時、小学校の教師で19歳、教会で結婚式を挙げています。吉野は卒業後、東京帝国大学に進学しますが、妻はその子とともに、仙台に留まりました。

 学生時代吉野は同志社系の神学者海老名弾正の影響を受けます。吉野は海老名の牧する、弓町本郷教会に通い、同教会の機関紙『新人』の編集に携わり、クリスチャンとして政治評論を書く基礎を身に付けていきました。吉野は一時、政治家袁世凱の家庭教師として、家族とともに中国に滞在、のちに東京帝国大学に職を得て、ヨーロッパに留学しています。三年の留学の後、吉野は中央公論の編集者に乞われて、時論を展開することになります。とくに、「憲政の本義と説いて その有終の美をもたらすの途を論ず」は、民本主義の主張として有名です。

担当 梅津 順一

カテゴリー:
キリスト教入門
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