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日本プロテスタント人物誌 No.19 羽仁もと子

2022年9月4日

【羽仁もと子(1864-1934)】 

 羽仁もと子、旧姓松岡もと子は、八戸市に生まれました。松岡家は南部藩の下級士族の家柄で、父登太郎は弁護士で、親族には弘前の本多庸一などとともに、自由民権運動に参画した人物もいました。もと子の弟は二人とも、アメリカの大学へ留学しています。もと子も地元の小学校で教育を受けたのち、上京し、府立第一高等女学校に入学しました。この第一高等女学校在学中、もと子はキリスト教に関心を向け、洗礼を受けています。もと子は植村正久に生涯、敬意を持ち、助言を受けていたといわれます。

 もと子は一時明治女学校で学んだ後、故郷に帰り小学校の教師となり、恋愛で結婚しますが、半年ほどで離婚を経験、再度上京して、一時、日本最初の女医である吉岡弥生病院で働いたのち、『報知新聞』校正係りの職を得ます。当時の女性の職業としてはまったく新しい分野で、もと子は校正係りから始めて、記事を書き始め、日本最初の女性ジャーナリストとなります。

報知新聞社では、羽仁吉一と知り合い、恋愛の末、結婚。羽仁は山口県出身で、毛利藩の下級士族の家柄でしたが、地元の中学を中途退学して上京、年若くして、『報知新聞』の編集人に加わっていました。羽仁吉一は、安部磯雄のキリスト教社会主義に惹かれており、安部との親交は生涯続きました。当時の職場結婚では、社内にとどまることは出来ず、最終的には二人とも退社して、共同して雑誌『家庭之友』を発刊することになります。

 羽仁もと子編集の雑誌として有名なものは、『婦人之友』ですが、最初に発刊されたものは『家庭之友』で、関連する雑誌として『青年之友』、『子供之友』もありました。羽仁はプロテスタント的基盤の上に、日本における新しい家庭形成に取り組みました。もと子の創案による『家計簿』は好評で、現在まで続いていますが、彼女が実際的で、建設的な提案を行った成果でもありました。羽仁夫妻は、第一次世界大戦後、自由学園を創設し、ユニークな教育を行って今日に至っています。

担当 梅津 順一

カテゴリー:
キリスト教入門
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