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日本プロテスタント人物誌 No.18 山室軍平

2022年7月31日

【山室軍平(1872-1940)】 

 山室軍平の出身階層は、留岡幸助とよく似ています。同じ岡山県の出身で、留岡は床屋の子、山室は染物屋の子で、どちらの家庭も子だくさんであったことから、二人とも養子にだされています。しかも、養子先で向学心抑えがたく、養父母と衝突し、どちらも家出することになります。留岡は同志社に向かったのですが、山室は上京し、築地活版製造所で職人として働く中で、キリスト教に接し、留岡も結局は同志社に向かいました。

 山室が路傍伝道で接したのは、メソジスト系の福音派で、伝道学校を経営していて、基本的な教育を授けて、すぐに伝道者にしていました。山室は「勧士」(信徒伝道者)となって、身近な人々、庶民、平民に伝道をはじめました。初代のプロテスタントは士族出身が多く、高い教養を前提に頭脳明晰な人々に伝道した面がありましたが、山室の場合には、その出発点から「平民の福音」という特徴がありました。

山室は当時、民友社を設立して売り出し中の徳富蘇峰の講演に影響を受け、その勧めもあって、同志社に向かったのですが、しかし同志社では、新島先生が急死、同志社が新神学、科学的キリスト教に傾斜するのにはついていけず、中退。山室は、あくまでも社会の下層にいる人々に伝道することを目指し、試行錯誤を経て、当時イギリスからやってきた救世軍に加わることになるのです。

 救世軍は軍隊組織を持つ伝道団体であり、社会福祉団体という特徴があります。クリスマス・シーズンに街頭で行う社会鍋(募金)活動が有名です。ロンドンで発足した救世軍は、明治28年に日本上陸、山室は平民への伝道を志す救世軍に共鳴し、士官候補生として入隊しています。救世軍は、宗教運動としては、メソジストと同じく聖化の経験を重視し、社会活動としては軍隊並みの、組織的な取り組みを行いました。日本では、廃娼運動を手がけ、しばしば暴漢に襲われることがありました。また、禁酒運動や都市下層民の救済に実績をあげました。

担当 梅津 順一

カテゴリー:
キリスト教入門
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