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日本プロテスタント 人物誌 No.6 クラーク先生

2022年5月8日

【クラーク先生 William Smith Clark(1826-1886)】 


 旧熊本藩士が建てた熊本洋学校から、意外にも、熊本バンドが生まれたように、政府が北海道開拓の人材養成のために建てた札幌農学校(現北海道大学)から、もうひとつの初代のクリスチャンのグループ、札幌バンドが誕生しました。札幌バンドの指導者が、アメリカから招かれたクラーク先生に他なりません。クラーク先生の札幌滞在はわずか8か月でしたが、別れに際して学生たちに残した言葉、ボーイズ・ビーアンビッシャス(少年よ大志をいだけ)は、よく知られています。

 クラーク先生はマサチューセッツ州の出身で、日本に招かれた当時はマサチューセッツ農科大学の学長でした。当時はアメリカでも農科大学は新しい大学でしたが、その学長を札幌に招いたことは、よい教育を授けたいという日本政府の意気込みが伝わってきます。札幌農学校は、北海道開拓使(北海道庁)の管轄下にあり、その長官は旧薩摩藩士の黒田清隆でした。クラーク先生は教育方針を巡って黒田長官と激しく衝突します。

 というのは、クラーク先生は教育の基礎として人間教育が必要で、そのために聖書が必要だと主張したからです。熊本洋学校の場合と同じく、黒田にとってキリスト教教育など考えられないことでした。激論の末、クラーク先生が押し切って聖書を学ばせることになりますが、両者はともに、軍隊経験者(クラークも南北戦争に従軍)で、同じ武人として共鳴できるところがあったといわれています。

 生徒たちは全員が給付生(給与を受けて学ぶ)で、一学年は20人ほどの少人数教育でした。あるとき、野外調査の折、先生が馬になって、生徒をその背に乗せて植物採集させたことがあったとか、そうした師弟関係自体が新鮮なものでした。クラーク先生は聖書の話をし、祈り、「イエスを信ずる者の誓約」へと導き、クリスチャンのグループを残しました。内村鑑三や新渡戸稲造は二期生ですので、クラーク先生を直接知りません。しかし、上級生により、その仲間に半ば強制的に組み入れられたのでした。

担当 梅津 順一

カテゴリー:
キリスト教入門
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