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日本プロテスタント人物誌 No.29 清水安三

2022年11月13日

【清水安三(1891-1988)】 

 南原、矢内原、湯浅と同年代のユニークな教育者に、清水安三がいます。清水は滋賀県の出身で、膳所中学在学中に、英語教師としてやってきたヴォーリズに出会います。生徒は先生を、「ボリッさん」と呼んでいたそうですが、そのバイブル・クラスに出席、クラスの後で出て来る、ホームメイドのクッキーと紅茶が楽しみであったとか。清水によりますと、ボリッさんは、教師を解任され、生活に事欠くなかでも、蒸気船を設計、建造して琵琶湖に浮かべ、湖畔伝道をするとか、八幡近郊の山を買い取って、サナトリウムにする夢をもっていたとか。清水の生涯は、夢を追い実現した点で、ボリッさんを継承するところがありました。

 清水は中学時代に洗礼を受け、同志社の神学部に進みます。清水は中国伝道を志すことになりますが、そのきっかけとなったのは、後の同志社総長牧野虎次牧師が語った、エール大学卒業生で中国伝道中に命を失ったペトキン宣教師の話でした。ペトキン宣教師は、匪賊から逃れるために、妻と赤ん坊を安全な米国艦隊に避難させたのち、羊飼いは羊の群れを置いて逃げるわけにはいかないとして、単身で戻り命を失ったというのです。この話に感激した清水は、中国伝道を決意したのでした。

 清水は北京のスラム街、朝陽門外で崇貞学園を立て、女子教育に乗り出しました。スラム街では、女子の人身売買があり、小さいときは子守、成長すれば妾とされていました。また、売買春が横行している世界で、貞操を教え、手に職を与えて自活させようとしたのです。ハンカチやタオル織、靴下織から始め、とくに、亜麻布の刺繍で成功したといいます。

 敗戦の日、崇貞学園には500人の中国人と200人の日本人(その三分の二は朝鮮人)が学んでいましたが、接収され、清水夫妻は無一文で、帰国しました。東京に出て賀川豊彦と遭遇、賀川により、神奈川県の淵野辺近くに、旧軍関連施設で、現在未利用の寄宿舎を紹介され、清水は直ちに、そこに学校を設立することを決心します。これが桜美林学園の始まりです。校名は、清水が留学したオべリン大学から取りました。オベリンは、教育、社会事業に熱心であった牧師の名前、清水の事業にふさわしい名前でした。

担当 梅津 順一

カテゴリー:
キリスト教入門
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