【湯浅八郎(1890-1981)】
南原繁、矢内原忠雄が東大総長として、戦後日本の教育に大きな影響を与えたとすれば、湯浅八郎は国際基督教大学の設立に関わり、戦後日本のキリスト教教育にリーダーシップを発揮しました。湯浅自身、同志社に学んでいますから、その点でも南原、矢内原とは対照的です。湯浅の父湯浅治郎は、群馬県安中の味噌醤油醸造業者で、新島襄の影響で洗礼を受け、第一回衆議院選挙で当選し国会議員となりますが、政界を引退して、同志社理事の職務に従事していました。
湯浅は同志社普通部(中・高校)に在学中、落第を経験します。当時、自転車が普及し始めたころで、自転車乗りに夢中になって、進級できなかったとか。落第を機に回心し、洗礼を受けるとともに、単独でアメリカに渡ることになります。渡航費だけは親が出して、渡米後は自活。開拓農場で三年間働いたのち、奨学金を得てカンサス農科大学に入学。卒業後は、イリノイ大学大学院に進み、昆虫学で博士号を取得しています。その後、新設された京都大学農学部教授に就任しました。
その湯浅は同志社総長に就任し、国際情勢が緊迫化するなかで、さまざまな受難を経験することになります。その一つは「神棚事件」、本来新島襄の写真を掲げる武道場の棚に、右翼にそそのかされた学生が神棚を置いた、それを学校側が撤去しようとして大騒ぎとなったのです。他のキリスト教学校もそうですが、教育方針として、聖書の上に教育勅語を押し込もうとする勢力と対峙しなければならなかったのです。
戦後湯浅は、新設された国際基督教大学(ICU)の学長に就任しました。戦前より、日本に本格的なキリスト教大学を設立したいという希望が日本の内外にあり、戦後期の日本の民主化の流れに後押しされて、ICUはアメリカのリベラルアーツ・カレッジをモデルに発足しました。授業は日英両語で行われ、外国人教員、外国人学生を迎えたICUは、「明日の大学」の名にふさわしい特徴をもち、日米の大学事情に詳しい湯浅は、新大学の学長として適任であったわけです。
担当 梅津 順一
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