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日本プロテスタント人物誌 No.27矢内原忠雄

2022年10月30日

【矢内原忠雄(1893-1961)】 

 矢内原忠雄は、戦後南原繁の後を受けて、東京大学総長に就任しました。南原と矢内原には、多くの共通点があります。二人とも、四国で育ち、旧制一高に入学するため上京、新渡戸稲造校長の薫陶を受け、キリスト教に関心を向け、二人とも内村鑑三の門下生となりました。南原は法学部、矢内原は経済学部と分かれましたが、二人ともそれぞれ内務省勤務、住友総本店・別子銅山で勤務したのち、大学から招かれて、教授に就任しました。

 矢内原は愛媛県今治市の出身で、生家は四代にわたって医者であり、また農地も持っていました。父は京都に出て、西洋人医師に学び、この地方で最初の評判の良い医師でした。忠雄は親元を離れ旧制神戸中学に進学しますが、その校長は札幌農学校二期生、従って内村と新渡戸の同級生であった鶴崎久米一でした。鶴崎が目指した「自重自治」の校風は、クラーク先生の「紳士たれ」を受け継ぐものでした。

 矢内原は内村鑑三の聖書講義に参加するようになり、内村門下の一高生、帝大生は柏会を結成して、学びつつ語り合っています。矢内原は、18歳で亡くなった愛娘ルツの告別式で、内村が「これはルツ子の結婚式であります。」「天国に嫁入りさするのであります。」と語る姿に衝撃を受けます。また、同じころ、相次いで父、母を亡くした矢内原は、聖書の神を知らずに亡くなったものには、救いはないのかとの疑問に苦しみます。問われた内村は、「俺にもわからんよ」と言って、しばらく沈黙、その後「そういった問題は一生かからなければ分からない問題だ。」と付け加えたそうです。

 矢内原の専門は、新渡戸稲造の植民地政策講座を引き継ぐものでした。南原の政治哲学と異なって、矢内原は日本の朝鮮や台湾の植民地政策という現実的問題と直接かかわることになります。とくに満州事変後は、大陸での戦争拡大の中で、「国家の理想」を掲げて、預言者的な発言を続け、言論弾圧を受け東大を追われることになります。その良心の叫びは、戦後民主主義を準備するものでした。

担当 梅津 順一

カテゴリー:
キリスト教入門
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