【河上丈太郎(1889-1965)】
河上丈太郎は、戦後社会党の委員長となり、十字架委員長と敬意を集めた政治家ですが、今回取り上げる日本人の中では、はじめての二代目クリスチャンです。父河上新太郎は、大工で後に材木商を営んでいました。芝バプテスト教会員で、毎朝早く、芝公園で一時間余り聖書を読んで祈るのが日課。日曜午後には、やはり芝公園で仲間とともに路傍伝道をしたそうです。家庭礼拝では、聖書を読むのは、その子丈太郎の役割でした。
河上丈太郎は地元の小学校を終えて立教中学に進み、旧制一高(現東大)に入学しています。一高在学時の校長が新渡戸稲造で、その人格主義教育の薫陶を受けました。一高では弁論部に属しており、小説家徳冨蘆花に講演を依頼したところ、大逆事件への政府の対応を批判した有名な「謀反論」の講演となりました。後に河上は、この講演を、「時代の良心」を示すものと評しています。
東大法学部で学んだ後、河上は官界でも実業界でもなく教育に向かい、最初は母校立教で教えたのち関西学院に移りました。関西学院で教えるかたわら、夜は大阪や神戸で設立された労働学校でも教えることにより、労働運動とのかかわりを持つようになります。河上は、アメリカのリンカーン大統領のように、弁護士事務所を持ちながら、国民を指導するタイプの政治家を志したのです。
普通選挙が実施されるのを前に、河上は関西学院を退職し、弁護士事務所を開業、同時に日本労働党に入党し、昭和3年(1927年)の衆議院選挙に兵庫一区から当選しています。いわゆる無産政党から最初に当選した八名の内の一人となりました。ただし、その後二度の選挙では落選、病気と経済的苦境に見舞われますが、昭和11年の選挙以降は、神戸に安定的な地盤を築き、当選を重ねることになります。
賀川豊彦は、キリスト教社会主義を理想として、伝道の生涯を送った。河上は、キリストに従いつつ、政治家としてキリスト教社会主義の理想を追求したのでした。
担当 梅津 順一
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