【安部磯雄(1865-1949)】
安部磯雄は歴史教科書では、日本最初の社会主義政党の創立者の一人として登場しています。日清戦争後の1901年、社会民主党が結成されますが、治安維持法によって、結成直後に解散を命じられました。安部の社会主義は、当時のイギリス、アメリカのキリスト教的社会主義でしたが、日露戦争では非戦論を唱え、大正デモクラシーの時代には、社会民衆党の結成に参加、最初の男子普通選挙で当選し、以後、衆議院議員として活躍しています。
その意味で安部は政治家ですが、もともとは留岡と同じく、同志社で新島襄の薫陶を受け、岡山教会の牧師としてスタートしています。その後、アメリカに渡り、一時内村鑑三も在学したハートフォート神学校で学んでいます。内村も安部も勤勉な秀才であったことから、ここでは日本人の評判はすこぶるよかったそうです。アメリカでは神学だけでなく、社会問題に関心を寄せ、とくにニューヨーク市の社会事業を調査しました。貧民の子のための幼稚園、孤児院、小児虐待防止事業、売春婦の救済などです。安部の社会主義は、こうしたアメリカでの経験によって培われたものでした。
帰国後安部は、早稲田中学、後には大学の教師となります。教師としての安部の性格を物語るものとして、「時間厳守」がありました。これは当時の日本では当たり前ではなかったのですが、安部は「時計の針」のように正確に時間をまもり、毎朝学校に出る時間も、一分も狂いもなかった。学校の通う道すがら、毎朝、同一時刻に同一箇所を通過する正確さでした。これは若い日に、同志社で身に付けたものでした。
安部にはもう一つ、「学生野球の父」という称号もあります。安部自身はハートフォート神学校で鍛えたテニスが得意でしたが、早稲田では野球部を創設しています。安部は学生たちに、野球を通じてフェアプレーの精神を学ばせました。また、規律を重んじ、アンパイア―の決定には必ず従うことも身に付けさせました。日露戦争の渦中にも拘わらず、アメリカ遠征を試み、学生の視野を広げました。日本では、大学スポーツは、キリスト教精神とともに紹介されたのです。
担当 梅津 順一
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