【留岡幸助(1864-1934)】
これから何回か、明治維新前後に生まれ、同志社で新島襄の薫陶を受けて、社会活動に顕著な足跡を残した人物を取り上げることにします。最初に取り上げたいのは、留岡幸助です。留岡は岡山県高梁市の床屋の吉田家に生まれましたが、子だくさんを理由に、生後すぐ米屋を営む留岡家に養子にだされました。寺子屋で学んでいたとき、士族の子を喧嘩で負かしたことを叱責され、人間平等を説く宣教師の聖書講義に惹かれて教会の門をくぐることになります。
ただし、義父の理解を得ることはできず、家出をして同志社の宿舎に転がり込みますが、見つかって実家に連れ戻されてしまいます。一時は、家の座敷牢に閉じ込められ、手足を縛られ天井から吊り下げられることにもなりますが、そこから脱走。最終的には養父の許しを得て、同志社に入学することになります。当時の同志社は、創立十年を迎えていました。徳富蘆花の小説『黒い眼と茶色の眼』には、幸助をモデルとする人物も登場しています。
同志社卒業後、幸助は丹波で伝道しますが、監獄の教誨師として北海道、空知集治監(監獄)に就任することになります。空知監獄には、囚人数2500余り、その半数ほどの囚人は炭山開発に従事していました。当時北海道には、空知以外にも、釧路、網走に監獄があり、各地で囚人を用いた開発事業が行われていました。その後、幸助は先進国の刑務所改革の視察のためアメリカに渡っています。
幸助はアメリカで感化監獄すなわち、囚人を教育によって更生させる施設があることを知ります。帰国後、幸助は感化事業を志し、とくにいわゆる非行少年の更生のための施設、家庭学校を設立することになります。東京の巣鴨に設立された最初の家庭学校には、多くのキリスト者が支援を惜しみませんでした。非行少年は父母を失うなど、不幸な家庭の子であることが多い。幸助は、その子たちに「家庭にして学校、学校にして家庭」を提供したのです。
担当 梅津 順一
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- キリスト教入門
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