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日本プロテスタント人物誌 No.13 矢島揖子

2022年6月26日

【矢島楫子(1833-1925)】 

 日本の初代プロテスタントが明治維新を迎えた年齢は、当時アメリカにいた新島襄は25歳、すでに成人に達していた森有礼や本多庸一は20歳前後。植村正久は10歳で、内村鑑三、徳富蘇峰、津田梅子はまだ10歳未満でした。彼らと比べると、矢島楫子はすでに35歳ですからかなり年長です。しかし、彼女が洗礼を受けたのは40代の半ば過ぎでした。後に矢島は女子学院の院長、日本キリスト教婦人矯風会の指導者となりますが、その半生は波瀾の生涯でした。

 矢島楫子は、熊本の豪農矢島直明の七人の兄弟姉妹の一人として生まれ育ちました。姉久子は徳富家に嫁いで蘇峰の母となりますが、楫子は後妻として林家に嫁ぎ、一男二女に恵まれますが、夫の酒乱と暴力に耐えられず、家を出ています。40歳の時、兄の看病を理由に上京、同時に、教員伝習所で学んで、小学校教員となりました。しかし、その間、妻子ある男の子を宿しています。その娘は後に、ある高名な牧師の妻となりました。彼女は「私は家庭には失敗者です」と語っていたそうです。

 楫子は公立小学校教員を経て、ツルー宣教師と出会い、洗礼を受け、女子学院の前身であった女学校で教えるようになり、後に、女子学院院長となり二十数年その地位にありました。生徒につけられた彼女のあだ名は、「光線」であったといいます。彼女が振り向くと、その眼光が太陽のようにまぶしかったからでしょうか、そのまなざしが直接自分に迫ってくると感じられたからでしょうか。

 彼女は婦人矯風会の指導者として、最晩年まで世界を股にかけて活動しています。英語が出来たわけではなかったのに、73歳の最初の渡米ではルーズベルト大統領に謁見、88歳にしてロンドン、89歳にして首都ワシントンにでかけ、世界平和を訴えました。老齢で旅行する際には、いつ倒れてもよいように、その身に葬儀の費用を忍ばせていたそうです。

担当 梅津 順一

カテゴリー:
キリスト教入門
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