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日本プロテスタント人物誌 No.4 新島 襄

2022年4月24日

【新島襄(1843-1890)】 


 前回取り上げた植村正久と横浜バンドの人々は、居留地で宣教師に英学を学ぶことをきっかけに、キリスト教に触れ、信者となったのですが、新島襄の場合は、アメリカに渡航し、当地でキリスト教信者となったのでした。新島は安中藩士の子弟ですが、ロビンソン・クルーソー漂流記を読んだ影響もあって、海外世界への関心が強く、海外渡航を計画することになります。維新の4年前、1864年に函館に出て、アメリカ船に乗り込んで密航したのです。

 新島は上海で船を乗り換え、船員として働きながら、ボストンに向かいます。ボストンでは船主の好意を得て、フィリップス高校に入学、高校卒業と同時に洗礼を受け、その後アマスト大学に進んでいます。アマスト大学はアメリカでも有名な小規模教養大学ですが、卒業後は、アンドヴァー神学校に進学していますから、この時すでに宣教師として日本に帰ることを考えていたのでしょう。

新島のアメリカでの立場は、密航者ですから、微妙なものがありましたが、外交官の森有礼と親しくなり、岩倉使節団がワシントンに到着した折に、通訳として使節団に同行することを依頼されています。とくに、維新の指導者木戸孝允から高く評価された新島は、使節団とともに、ヨーロッパを歴訪しています。その後、新島は使節団を離れ、アンドヴァー神学校に戻り、卒業。牧師としての資格を得て、宣教師として日本に帰ってきました。

 新島はアメリカの宣教団体の支援を受けて、京都に同志社英学校を設立しています。当時、京都府顧問であった元会津藩士山本覚馬も支えてくれましたし、新島はその山本の妹八重と結婚しています。この八重さんは何年か前、NHK大河ドラマで取り上げられましたが、会津落城のとき、銃を持って戦った女丈夫。個性的な方だったようで、同志社の学生さんからは不評でした。自分たちの尊敬する新島先生を、「ジョー」などと平然と呼び捨てにすると反感を買ったという逸話があります。

担当 梅津 順一

カテゴリー:
キリスト教入門
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